中島翔哉と久保建英
新しい世代のサッカー日本代表を担う、中島翔哉選手と、南野拓実選手、堂安律選手の「三銃士」。森保ジャパンの攻撃は、この三人と、大迫勇也選手のコンビネーションが中心です。
一方で、彼ら新しい代表の中心選手よりも、さらに若い注目選手として、元FCバルセロナの育成選手で和製メッシの異名を持つFC東京の久保建英選手も、6月の親善試合と、「コパアメリカ(南米選手権)2019」でサッカー日本代表に初収集。
中島翔哉選手と久保建英選手、少し違ったプレースタイルですが、どんな化学反応が見られるか、二人のコンビネーションに期待が集まります。
中島翔哉
画像 : ゲキサカ|「サッカーを楽しむ」がモットーの中島翔哉選手(右)
中島翔哉選手は、1994年8月23日生まれ。東京都八王子市出身で、ポジションはミッドフィルダーおよびフォワードです。
6歳の頃からサッカーを始め、二つのサッカースクールやフットサル教室に通い、2004年から東京ヴェルディの下部組織の入団。
中学時代は3度のブラジル留学。2010年には国体の東京代表で優勝し、2011年にはクラブユース選手権で連覇、中島翔哉選手自身もベストヤングプレーヤーに選出されています。
その後、2012年にプロ入り。直後の試合では最年少ハットトリックも達成します。
しかし、チーム事情と中島翔哉選手のプレースタイルとが馴染まなかったことなどが理由で出場機会も減少。2014年、出場機会を求め、FC東京に移籍後すぐ中島翔哉選手の才能を買ってくれているカターレ富山に期限付き移籍。
同年、FC東京に復帰するも、自身の持ち味を発揮することはできずにいました。ただ、その間も、リオ五輪時の手倉森監督は、中島翔哉選手の起用を続けました。
試合に出ていなくてもパフォーマンスは高かった。あとは、指導者がその選手の未来を描けるか。その絵を見えるか。そこに限ると思う。翔哉にはボールを体から離さず運ぶ技術がある。これはヨーロッパやアフリカ勢が嫌がるタイプ。(ロシアW杯での)乾(貴士)、香川(真司)、原口(元気)もそうだった。そこにたどり着くには経験が必ず必要になる。だから、使った。
FC東京からポルトガルのポルティモネンセ移籍後は、自由なスタイルで中島翔哉選手の持ち味を存分に発揮。欧州のスタイルが合っていたようで大活躍を見せます。
ハリルホジッチ監督のもと、2018年に日本代表初収集。西野体制で挑んだロシアワールドカップでは、残念ながらメンバーに選ばれませんでした(この落選について、本人は全然気にしていないようで、ゆっくり奥さんと犬と過ごせてよかった、こんな時間がずっと続けばいいな、と思ったと、のちの取材でコメントしています)。
森保ジャパンになり、再び日本代表に選出。「楽しいサッカー」をモットーに、その笑顔と突破力で主軸として結果を残しています。
所属チームは、ポルティモネンセから、カタールのアルドゥハイルに移籍。サッカーファンのあいだでは、この移籍は、物議をかもす選択でしたが、本人はしっかり考えた上での選択だったようです。
日本の8番どこでプレーしてるの?ってチームメイトから聞かれるやつ。
人それぞれサッカーをやるための目的は違うけど、もっとハイレベルな場所で中島翔哉のプレーを見たいな。— Yuto Nagatomo | 長友佑都 (@YutoNagatomo5) 2019年3月26日
久保建英
久保建英(くぼたけふさ)選手は、2001年6月4日生まれ。神奈川県川崎市出身、ポジションはミッドフィルダー、フォワードです。
久保選手がサッカーを始めたのは、2004年の3歳の頃。父がコーチとして参加している東京都稲城市の坂浜サッカークラブが、サッカー人生の始まりでした。
2009年、小学二年生で参加したFCバルセロナキャンプではMVPに選出。
川崎フロンターレの下部組織に入団後、2001年8月、バルセロナの下部組織の入団テストに合格。2013ー2014年の地中海カップU – 12トーナメントでは大会得点王とMVPに選ばれます。
2015年、日本に帰国し、FC東京の下部組織に入団します。中学三年生でFC東京のU-18に飛び級。日本クラブユース選手権にも出場し、大会史上初となる中学生で得点王に。
この年、FC東京のトップチームに2種登録。J3の試合に出場し、Jリーグ史上最年少記録を塗り替えます。
2017年、FC東京と正式なプロ契約を結んだ久保建英選手は、2017年11月26日にJ1リーグデビュー。これは歴代3位の記録です。
J3での出場機会が多かった久保建英選手ですが、J1での出場にこだわり、FC東京首脳陣に環境の変更を直訴。2018年、期限付きで横浜F・マリノスに移籍が決まります。
翌2019年、再びFC東京に復帰。開幕戦では、クラブ史上3番目の若さでスタメンに抜擢。
徐々に出場機会も増やしていくなかで、久保建英選手は森保ジャパンでサッカー日本代表に初選出。キリンチャレンジカップのエルサルバドル戦の後半、市川大祐選手に次ぐ史上二番目の若さでA代表出場を果たしました。
画像 : MF久保建英と同時に日本代表のピッチに立ったMF中島翔哉|ゲキサカ
中島と久保のコンビネーション
久保建英選手のA代表デビュー戦のエルサルバドル戦は、後半途中、中島翔哉選手と同時出場。
試合に出られずベンチでなんとも言えない表情をしていた中島翔哉選手が、出場となった途端に満面の笑みで登場したのと、代表デビュー戦で緊張していた、と言う久保建英選手のコントラストが印象的でした。
二人はかつて一時期ですが、FC東京で共にプレーした経験もある関係性です。
2017年11月に正式契約が発表された久保、17年8月にポルトガルに移籍した中島は、共にプロ選手として在籍することはなかったが、久保が2種登録選手だった17年5月にルヴァン杯2試合(5/3札幌戦、5/10大宮戦)で共演を果たしている。
中島翔哉選手は、試合前の取材で、「FC東京にいたときから、すごくうまくて賢い選手だったので、一緒にプレーできるのはうれしいし楽しみ」と久保選手の印象を語っています。
試合中は、久保建英選手にボールも期待も集中し、中島翔哉選手の存在感が薄れる時間も長かったのですが、これはまだ全体のコンビネーションがまだかっちりとはまっていなかったからでしょう。
それでも、新しい形を予感させる好プレーもありました。
久保建英、中島先輩とのワンタッチプレイで好連携!FC東京メンバでディフェンスラインを切り崩す!#久保建英 #FC東京 #中島翔哉 pic.twitter.com/Zxr4cDnAi4
— いーじー(ぼっち系モトブログやってます) (@tomokazu_76) 2019年6月9日
中島翔哉と、久保建英。ワールドカップアジア予選に向け、今後日本代表がどういった形に仕上がっていくかが楽しみです。