中島翔哉と母親
サッカー日本代表でカタールのアルドゥハイルに所属する中島翔哉選手は、家族想いなことでも有名です。
日本から、最初海外のポルトガルリーグのクラブ(ポルティモネンセ)に移籍する際に長年付き合っていた一般女性と結婚し、奥さんと、飼い犬と一緒に海外生活を開始します。
奥さんの手料理が大好きで、家族との時間がなによりも大切だとインタビューでも語っています。


有名な欧州の主要リーグに行くとも噂されていた中島選手ですが、今回カタールに移籍することを決めた理由というのも、現在挙がっている選択肢のなかでカタールのアルドゥハイルが今の自分に合っていて「楽しいサッカー」ができそうなことと、家族が穏やかに暮らせそうな環境であることが気に入ったから、というものでした。
これほど家族を大切にしている中島翔哉選手ですが、奥さんだけでなく、中島選手自身の母親のことも大切にしています。
東京ヴェルディとプロ契約を結んだ高校三年生のとき、中島翔哉選手は、母親に「いつか家を買ってあげるね」と約束しました。
その約束から四年後、内緒で都内に一戸建てをプレゼント。都営住宅から引っ越すことになった中島選手の母こずえさんは、「夢みたいな親孝行」と喜んだそうです。
実は、中島翔哉選手の家は母子家庭でした。
中島選手の母親は、中島選手が一歳の頃に育児のプレッシャーなどから摂食障害になり、入退院を繰り返しながら一時は体重が28kgに。
そして、中島翔哉選手の父親である夫とは中島選手が6歳の頃に離婚します。
その後、勤め先が倒産したり、借金を背負ったりしながら、それでも、中島選手が始めたサッカーのクラブ費用を工面し、中学時代にはブラジルへの留学費用も出し、女手一つで苦労しながら中島選手のサッカー活動を熱心に応援しました。
少年時代の中島翔哉選手はとにかくサッカー三昧で、クラブだけでなく家や授業中もボールに触れていました。
寝る前も、犬とボールと一緒に眠っていたそうです。
また負けず嫌いだったようで、地元の松が谷FC時代の監督は、少年時代の中島翔哉選手の印象を次のように振り返っています。
最初はお母さんが連れてこられたんですが、もともと人見知りな少年で、大人が話しかけるとサッとお母さんの後ろに隠れてしまうような感じでした。サッカーの技術も最初は他の子どもたちとそう変わらなくて、特別に目立つようなこともなかった。
ただ、唯一違ったのは、『負けるとすぐ泣く』ということでした。1対1でも2対2でもミニゲームでも、負けると悔しくてたまらない。絶対に負けだけは嫌だという気持ちをむき出しにしてくる。そこまでスイッチが入って豹変する子は見たことがありませんでした。
中島選手は兄弟はいません(柏レイソル所属の小池龍太選手が従兄弟で、少年時代から兄弟のように仲が良かったようです)。
母一人子一人という家庭環境でした。母親は中島選手を養うために働かなくてはいけないので、サッカーと犬は中島少年にとってきっと大きな慰めになったことでしょう。
そうした経験も、今中島翔哉選手が家族との時間を大切にする大きな理由なのかもしれません。